弟子屈町(北海道)
鉱夫の山から、旅行者の山へ
国立公園の自然豊かなまち、弟子屈町は、2000年代に入って以降、急激な旅行者の減少が起きていた。これにより廃屋の増加や人口減少、経済の停滞などが起こり、町は疲弊。豊かな自然を守りながらも、経済を立て直すために「エコツーリズム」の推進を選択した。 かつて硫黄採掘で栄えた火山、「アトサヌプリ」の資源をエコツーリズム推進法に基づく特定自然観光資源に指定し、立入りを制限した上で、認定ガイド制度を創設。認定ガイドの引率の下、アトサヌプリに上るトレッキングツアーを作り上げた。ツアーは「エコツーリズム大賞」を受賞。地域の知名度や、住民のエコツーリズムに対する理解度が向上し、山のふもとの温泉街には再び活気が満ちようとしている。
地域の概要(DESTINATION DESCRIPTION)
弟子屈町は町域の65%が阿寒摩周国立公園に指定され、町の大部分は日本最大の「屈斜路カルデラ」の中にあります。日本最大のカルデラ湖「屈斜路湖」や、世界有数の透明度を誇る「摩周湖」をはじめ、活火山、深い森、カヌーイストの聖地と呼ばれる「釧路川」などがあり 、これらの豊かな自然の中に多くの野生動物と6,500人あまりの人々が共生しています。 弟子屈町の中でも、カルデラの大地であることを最も実感できる場所のひとつが、今なお噴気をあげる「アトサヌプリ火山」です。アトサヌプリは、先住民族アイヌの言葉で「裸の山」を意味します。古来よりアイヌの人々に大切にされてきたこの山の地下からは、強酸性の温泉が湧出し、ふもとの川湯温泉地区を潤してきました。また、この山では良質な硫黄が採れることから1877年~1963年にかけては硫黄採掘の鉱山としても活用されました 。多くの鉱夫が滞在し、硫黄を運搬するために鉄道も敷設され、これが現在の町の発展に大きな役割を果たしました。
直面した課題(ISSUES FACED)
1991年、弟子屈町を訪れる宿泊者は年間73万人に達し、川湯温泉地区だけでも56万人の宿泊客がいました。しかしその後、団体客を中心とした旅行形態が個人客中心の旅行形態へとシフトしたことにより、宿泊者は急激に減少。2015年の宿泊者の数は最盛期の3分の1になりました。来訪者の減少により、私たちは、廃屋の増加や人口減少、地域経済の停滞、 整備費の不足によるフィールドの環境悪化などさまざまな課題に直面することになりまし た。 これらの課題を解決するためには、地域経済の立て直しが必須でした。しかし来訪者の数を以前のように増やすのではなく、地域で提供する宿泊やガイドなどのサービスを高付加価値化し、エリア全体の魅力を高めることで自然保護と経済循環を両立させていく必要があると考えたのです。そのためには、エコツーリズムを推進し、観光の中心である川湯温泉で、地域の核となるエコツアーを開発する必要がありました。
課題解決の対策方法、ステップ、ツール(METHODS, STEPS AND TOOLS APPLIED)
川湯温泉街の再生にあたり、核となるエコツアーとして開発を進めたのが、アトサヌプリ火山での登山ツアーです。アトサヌプリはカルデラを象徴し、川湯温泉の温泉水の源となっている特別な場所。かつては硫黄採掘で多くの鉱夫が歩いた場所でしたが、落石の危険があるため、2000年以降登山は禁止されていました。 登山ツアーを開発するために最も大切なツールとなったのが、「てしかがスタイルのエコツーリズム推進全体構想」です。全体構想は法律に基づいた仕組みで、各地域がエコツーリズムを推進するために定める指針のことです。弟子屈町は2016年に北海道で初めての全体構想認定地域となり、守るべき自然やルールを明確に定めました。 全体構想を策定したのは、2008年に発足した住民主体のまちづくり団体「てしかがえこまち推進協議会」。持続可能な観光地域づくりを進め、住民自身が住んでいて誇らしいと感じられる町を作りたいと、70名以上が所属する協議会全体でエコツーリズムを推進してきました。 アトサヌプリ火山での登山ツアーは、てしかがえこまち推進協議会が主体となり、以下のステップで開発が進められました。
STEP1)特定自然観光資源の指定と立入り制限 アトサヌプリ火山には、およそ1500もの噴気孔と、噴気孔の周辺で見られる黄色く美しい針状の硫黄結晶が存在します。これらの希少な噴気孔と硫黄結晶が登山により損なわれることがないよう、私たちはエコツーリズム推進全体構想を2020年に改訂し、噴気孔と硫黄結晶を「特定自然観光資源」に指定しました。続いて、アトサヌプリをエコツーリズム推進法に基づく立ち入り制限区域に指定しました。
STEP2)認定ガイド制度の創設 火山を登ることは、環境悪化の懸念だけでなく、噴火や落石などのリスクがあります。そのため、この山の自然や特徴について熟知したガイドの引率の下でのみ登山ができるよう 、「認定ガイド制度」を創設しました。ガイドは定められた4つの条件をクリアし、てしかがえこまち推進協議会の認定を受けることで、立入り制限区域の中でのガイドが可能になります。また、資源保護と安全確保の観点から、1人のガイドが一度のツアーで案内できる人数を6名までに制限しています。
STEP3)参加費の一部を環境保全に充当させる仕組みを整備しました。実際のツアー実施に際しては、上限人数や地域のストーリーの伝え方、安全確保のためのマニュアルなども整備されました。また、自然保護と経済循環を両立し、旅行者にも地域の環境に責任をもってもらうため、ツアー参加費の一部は、環境保全や登山道の整備に充当する仕組みを作りました。 このようにして開発されたアトサヌプリでの登山ツアーは、2021年春より地域DMO主催の「アトサヌプリトレッキングツアー」として本格的に販売が始まりました。旅行者はツアーに参加することで、屈斜路カルデラと川湯温泉の成り立ち、火山に生きる動植物と特異な自然環境、硫黄採掘の歴史を学ぶことができ、なおかつ地域の自然環境の保全にも貢献することができます。
成功の主要因(KEY FACTORS FOR SUCCESS)
主な成功要因として、2つの要素が挙げられます。 1つ目は、エコツーリズム推進全体構想を改訂し、アトサヌプリを立入り制限区域に指定したことです。特定自然観光資源の指定と、それに基づく立ち入り制限区域の指定は、日本で初めての事例となりました。 2つ目は、認定ガイド制度を導入したこと。協議会ではガイドのスキルアップを支援する取り組みを推進し、認定ガイドの要件を制度化しています。これにより、アトサヌプリやその周辺に対する深い理解と哲学を持ったガイドが誕生しました。
得られた知見(LESSONS LEARNED)
貴重な資源がある活火山を登るツアーを実現させるために、最も重要なことは資源の保護と安全確保の両立でした。 資源の保護は、深い知識を持った認定ガイドによる少人数でのツアーで、貴重な自然資源が損壊されることを防ぐと同時に、参加費の一部を資源保護やルートの点検・整備費用に充てることで実現しました。 安全の確保は、消防や警察、林野庁、環境省など多くのステークホルダーとともに安全なルートや非常時の避難ルートを確立することから始めました。実際のツアーを担当する認定ガイドには、細かく厳しい要件を設定し、参加者の人数を6名までに制限することでツアーの安全性を高めています。また、将来的に、この地域のアクティビティ全般の安全性を向上させるため、地域で活動するすべてのガイドを対象にした「アウトドアガイドスキルアップ講習会」も定期的に開催しています。 ルールを明確に定めて来訪者を管理していますが、一方で、ルールを守らない人が法を侵して山に侵入することがないように、登山ルートの入り口には立ち入り禁止であることを示す分かりやすい看板を設置しています。同時に、地区内のビジターセンターや、ふもとの売店などでも、リーフレットを配布するなどの啓蒙活動を行っています。
成果と実績(RESULTS AND ACHIEVEMENTS)
- アトサヌプリの噴気孔を、特定自然観光資源に指定しました。
- 日本で初めて、エコツーリズム推進法に基づく立ち入り制限区域の指定を行いました。
- 認定ガイドの要件として定められている講習「硫黄山学」は、これまで延べ71人の方が参加しています。
- 認定ガイドによる「アトサヌプリトレッキングツアー」は2021年春より本格的に販売を開始しました。2022年は196人がツアーに参加し、参加費のうち106,200円が環境整備基金として弟子屈町に寄付されました。
- アトサヌプリのふもとの川湯温泉街では、廃屋となったホテルの撤去が進み、廃ホテルの撤去跡地には日本で最も有名な高級リゾートホテルグループである「星野リゾート」 が新たな環境配慮型のホテルを建設することが決まりました。
- 毎年、地元の小学生を無償でトレッキングツアーに招待しています。
- 年に2回「町民モニターツアー」として町民がアトサヌプリトレッキングツアーに参加できる機会を提供しています。
他地域でのヒント(TIPS FOR OTHER DESTINATIONS)
まずは方針を決めることが大切です。 地域として守らなくてはならない資源が何であるか、その資源を守るために何をするべきか、どのような来訪者を受け入れたいと考えるのか、これらの方針を定め、地域の中で共有することが一番初めにするべきことです。 また、地域に暮らす人々が、地域に愛着を持てるようにすることも大切です。地域愛は、 すべての取り組みの礎になる何より大切な要素です。住民自身が、町の政策決定や、ルール作りに主体的に関わることができるようなプラットフォームがあると、住民の意思を地域づくりに反映することができます。
評価とその他の参考資料(RECOGNITIONS AND ADDITIONAL REFERENCES)
2023年2月、アトサヌプリトレッキングツアーは、環境省及び(一社)日本エコツーリズム協会共催で行われた「エコツーリズム大賞」の最高賞である「大賞」を受賞しました。