大洲市(愛媛県)
日本の城下町におけるまちの保存と再生
大洲市は、この衰退に対して、毅然とした態度で少しずつ対応してきた。2016年、ある所有者が空き家を維持する経済的負担に耐えかねて、その歴史的建造物の解体をすることを相談しに、市役所へ出向いたところから、この事業がスタートした。
1.) この危機感から、地元の若者たちが集まり、老朽化した家屋を管理することになった。彼らは「YATSUGI」(NPO)を設立し、放置された家屋を清掃し、その家屋で簡単なポップアップ・イベント(「城下のmachibito」)を開催した。
2.) 同時に、関係者はまち再生の専門家に問い合わせを始めた。2017年から2018年にかけて、学者やコンサルタントが現状と可能な打開策について調査を行った。その結果、大洲市役所は、城下町エリアのまち再生を達成する主な手段として観光戦略を制定した。最終的に、2018年に大洲市役所、地元の株式会社伊予銀行、一般社団法人ノオト、株式会社バリューマネジメントで官民パートナーシップ契約が締結された。
やがて市民と行政のプロジェクトは、YATUGIの活動と連携協定の資金力、そして専門知識によって、キタ・マネジメントグループの設立によって統合し、実行されることとなった。行政の支援を受けたキタ・マネジメントは、まちの再生を担うことになった。すなわち、観光戦略の実践である。2018年8月から連携協定をコーディネートする「一般社団法人キタ・マネジメント」が地域DMO(デスティネーション・マネジメント・オーガニゼーション)の役割を担い、その関連会社である株式会社KITAが城下町エリアの不動産管理を受託した。 資金(「大洲まちづくりファンド」)の確保と所有者の信頼を得て、空き家再生プロジェクトにスタートした(2019年)。それと並行して、小人数で長期滞在を希望し、地域文化に興味を持つ観光客を受け入れる計画が進められた。 歴史や文化といった地域資源を、ようやく本格的に活用することが始まった。
直面した課題(ISSUES FACED)
この数十年間、大洲の歴史的建造物が残っている城下町エリアでは人口が減少し、多くの建物が廃墟と化している。空き家となり放置され、100年以上の歴史を持つ建造物は崩れ始め、取り壊されようとしている。そして、大洲が400年以上にわたって住み継がれてきた姿は、物理的に消滅の危機に瀕していた状態だ。緑豊かな山々と肱川の恵みに育まれた自然に囲まれている大洲は、地方であるにもかかわらずかつては産業で栄えていた。和紙、蝋、絹が豊かな富をもたらし、町ににぎわいをもたらしていた。戦後、近代化が進むにつれ、数十年の間に、前述のような衰退が始まった。健全な建築遺産に恵まれた地元の人々は、所有者が住んでいない空き家がいかにがいかに近所に残骸や瓦礫をもたらし、愛着のある本屋や喫茶店が客不足のために閉店を余儀なくされるかを目の当たりにした。仕事も住宅と同じような速さで消えていった。かつては輝いていた城下町では、町の衰退が進んでいた。
成功の主要因(KEY FACTORS FOR SUCCESS)
なによりも、行政(大洲市)、まちづくり専門家(建築家や法政大学など)、金融(伊予銀行)、コンサルタント会社(ノオトや株式会社バリュー・マネジメント)という異分野のメンバーで構成されたチームが、キタ・マネジメントグループに無数のコラボレーションの可能性をもたらした。このような異質性は、新たな目標や障害を検討する際に多様な視点を可能にする。時間との闘い、資金不足の中で実績のない計画を実行するには、創意工夫が大いに必要だった。地域住民の理解を得ることも、再生政策の円滑な実施を保証するために重要だった。当初は消極的だった住宅所有者たちも、後にプロジェクトの範囲と最終的な意図を理解し、プロジェクトに参加するようになった。大洲の観光戦略は、運やタイミングにも恵まれている。2011年の東日本大震災後、日本政府は遺産保護の優先順位を再検討し、その取り組みを強化した。その結果、さまざまな諮問委員会や専用基金が設立された。政府から出された指令の徹底的な精査のおかげで、キタ・マネジメントはそのうちのいくつかに応募し、活用することができた(内閣府の古民家支援協議会、歴史的資源を活用した観光まちづくりアドバイザリーやMILT主催の観光まちづくりアドバイザリーなど)。MINTO 機構の資金援助)。これらの助成金や協力は、経済面でも評判の面でも、プロジェクトの強化に貢献している。
得られた知見(LESSONS LEARNED)
大洲で生まれたまち再生システムは前例がない。古民家の所有者は株式会社KITAに物件を15年間貸す代わりにリフォームを依頼する。その承諾を得るのが特に難しかった。特にプロジェクトの最初の段階では、キタ・マネジメントの名前も知られていなかったからだ。大洲市役所の直轄事業であること、地方公務員が兼務であることで、所有者とキタ・マネジメントの間に安心感と信頼感を築くことができた。とはいえ、地元の人々に再生プロジェクトを紹介する明確でシンプルな方法が必要だった。地元の人々を説得してプロジェクトに参加させるには、忍耐と明確さが重要な要素であった。(これは持ち家でない人々にも当てはまることが証明された)。また、改修工事に携わる職人や大工は、救済する価値のある要素を評価し見分けるために、現場で訓練を受けなければならなかった。彼らは「スクラップ&ビルド」の慣習を専門的な作業(日本における建築の慣習)に今回の技法を適応させる必要があった。新しい試みである以上、建築家や現場監督は古民家のリノベーション工事について学ぶ必要があり、県外まで出向き技法を学んだ。始めは、トラブルも多かったが最終的に解決できるようになり、第2期(2020年度)または第3期(2021年度)の改修工事では、発生件数は少なかった。
成果と実績(RESULTS AND ACHIEVEMENTS)
本稿執筆時点(2022年6月)で、城下町エリアである肱南地区に22軒の家屋が改修され、新たな用途を見出した。これは、家屋が放置され、取り壊されつつあった近年の大洲のまち景観の劇的な転換を意味する。計画完了時には、33軒の家屋が改修される予定である(2024年)。リノベーションされた家屋の多くを利用した「分散型ホテル」が2020年7月にオープンした。地元住民は、廃屋だった家に宿泊者の姿が見えたり、明かりが灯るのを喜んでいる。ホテル経営者や観光客だけでなく、地元の起業家たちも新しい物件に投資している。平井氏、山鬼氏、米澤氏は、小さな夢(和菓子屋創造、オーガニックタオル(食べられるもの!)の普及、健康飲料の革新まで)を実現している。大洲市のまち・景観・文化保存取り組みは、国内外のメディアから注目されている。朝日新聞、日本経済新聞、AFAR、CNN、ラ・レプッブリカなど多くのメディアに、住居の改修や大洲城キャッスルステイ(新しい宿泊施設の一部)での滞在に関する記事や説明が掲載された。観光地としての大洲の認知度アップに貢献している。大洲の歴史に新風を吹き込んだ。 再生計画における最初の成功は、プロジェクトの範囲を広げることも可能にした。改修が期待される新たな住宅が、当初の候補物件に加えられた。国の機関(文化庁・観光庁)は、大洲で起きていることを注視し、協力や支援を増やしている(国家遺産の活用の再評価や地域ブランドの創造に関するセミナーやワークショップ)。