豊岡市(兵庫県)
絶滅したコウノトリの野生復帰:持続可能な環境を取り戻す
直面した課題(ISSUES FACED)
現在世界で3000羽程度しかいないと言われているコウノトリ (Ciconia boyciana)とは東アジアと南東ロシアに局地的に生息する鳥で、日本では古くから端鳥とされてきた。かつてコウノトリは全国各地で生息していたが、1920年頃には、豊岡等一部の地域しかいなくなり、絶滅の危機に陥った。そして、第二次世界大戦後の食糧難に対する食糧増産のために、農産物などへの農薬散布が急増、また、開発の進展により、コウノトリの餌となる生物が激減した。 そして、1971年に最後の一羽が死に、日本から姿を消した。豊岡市はコウノトリの最後の生息地として環境への莫大な損失に対して、罪悪感と責任を感じた。豊岡市は人間の過ちを正すことを決意し、コウノトリとヒトの共生を軸にまちづくりに取り組む事とした。こうして、コウノトリを「いつか必ず空に帰す」と約束し、繁殖の取り組みが始まった。
課題解決の対策方法、ステップ、ツール(METHODS, STEPS AND TOOLS APPLIED)
その時、豊岡市は、1965 年、コウノトリが完全に絶滅する前に残っていたコウノトリを飼育下で繁殖させ、増やすために捕獲した。しかし、コウノトリの体内が農薬で毒されていたため、繁殖は成功しなかった。
1985年に豊岡市はロシア(旧ソビエト連邦)からコウノトリを寄贈してもらい、繁殖を続け、1989年に、奇跡的に、初めてのヒナが生まれた。その後、飼育下での繁殖は順調にいき、コウノトリの数は増えてきた。豊岡市は次のステップとして、人間の過ちを正すことを決意し、コウノトリ周辺の環境を取り戻す、コウノトリとの共生を軸にまちづくりに取り組んでいた。そのためには自然の中で、コウノトリが生息できる自然環境が必要だった。 まず、豊岡市は無農薬での米作りや湿地・ビオトープの創出を始めた。中でも、無農薬による稲作栽培方法である「コウノトリ育む農法」を開発した。農薬の散布をせず、コウノトリにとっての最適な環境を作り、人間にとっても安全な無農薬の「コウノトリを育むお米」を作る農法である。
この農法の一番の特徴は水管理である。日本では水田を乾かすことを通常6月下旬くらいから行うが、この農法では中干しのプロセスを延期し、オタマジャクシに足が生えカエルになるまで待つ。そうすることで、生き物を育み、害虫がいても、カエルが「自然農薬」の役割として虫を食べるからで。
そういった取組を進める中、遂に、2005年に最初のコウノトリが野生放鳥された。40年以上懸命に努力した結果、豊岡市は「いつか必ず空に帰す」の約束を果たす事ができたのである。
2007年には、放したコウノトリからぺアができ、日本国内で43年ぶりに自然繁殖に成功した。豊岡市内にはコウノトリのための人工巣塔が多く設置されている。本来、コウノトリは松に巣をかけ繁殖するが、松枯れなどにより、巣をかけられるような松の大木がなくなっており、日本で自然繁殖しているペアは人工巣塔を使っている。豊岡市内に、巣塔を26本建てた。こうして、コウノトリとヒトが共生できる環境が整った。
成功の主要因(KEY FACTORS FOR SUCCESS)
野生放鳥の訓練を行ったり、飼育下繁殖の施設、研究所として1999年に兵庫県立コウノトリの郷公園が開設された。コウノトリの研究が新しい試みであるということで、研究者が深くコウノトリについて研究した。2000年には、コウノトリや環境についての普及啓発施設である豊岡市立コウノトリ文化館を開設した。また、2002年には市役所内に「コウノトリ共生課」が設置され、「コウノトリが住める環境を創造すること」を目指し、湿地やビオトープや魚道の設置、減農薬・無農薬のコウノトリを育む農法などの生息地を創出する取組みを推進した。
市⺠が湿地を管理したり、コウノトリはじめとする環境教育を進めたり、また農家が農法を変えたり、いろいろな場面で市⺠も大いに参画している。農家や多くの市⺠・団体の協力のおかげで、市が考えたビジョンが実施できた。農家は将来、子供と孫に何を引き継ぎたいかを考え、人間と生き物に対してもっと明るい未来を作るために取り組んでいる。
得られた知見(LESSONS LEARNED)
絶滅危惧種の保護は重要である。絶滅の危機に頻した鳥であるコウノトリは生態系ピラミッドの頂点に立っているので自然にコウノトリが存在すると、生態系が豊かであると言える。 自然は簡単に破壊できるが、環境を取り戻すのは非常に大変である。コウノトリが暮らせるような自然を取り戻すには⻑い時間、多くのエネルギーやコストがかかる。このプロジェクトで分かったことは、自然環境の保全と地域活性化を同時にやらざるを得ないという事である。コウノトリが住めるまち=人間にとっても良い環境であり、経済発展と環境保全は相反するものではなく、好循環するものとしてとらえ、環境経済戦略を進め、多くの人々をこのプロジェクトに巻き込んだ。
成果と実績(RESULTS AND ACHIEVEMENTS)
コウノトリ野生復帰は世界にも例のない巨大なプロジェクトであり、現在、コウノトリは日本全国に約220羽と推測できるまでになり、特に豊岡では多く見ることができる。2007年、 豊岡市では1ペアであったが、2020年には15ペアになっている。
自然再生の取組みにより、田んぼにいるカエルや魚等の生物は増え、豊岡市の自然が豊かになった。現在、豊岡市は留鳥や渡り鳥等約280種類の鳥類が生息し、飛来する。日本全国 633種類の中、45%が豊岡で生息しているということである。
さらに、コウノトリは市のシンボルになり、自然との共存を基盤に、日常生活にも影響を及ぼした。
一部の農家で始めたコウノトリの餌場を確保するための無農薬による稲作は、拡大されている。「コウノトリを育む農法」を活用した「コウノトリ育む米」の栽培は、2003年に生産者5人、0.7ヘクタールからはじまり、2020年には202人が425.7ヘクタールで同農法を実施している。豊岡市内では学校給食や旅館・飲食店でも観光客などへの提供が拡大し、2016年から輸出も始めった。2020年に8カ国へ「コウノトリ米」を22.3トン輸出する経済的な成果もある。市⺠による全国的なコウノトリ⽀援の組織「日本コウノトリの会」もある。 2009年に第1回の「生物多様性 日本アワード」が開催された際、「『コウノトリ育む農法』とコウノトリ共生米」という取り組みで優秀賞を受けた。また、2012年に豊岡市のコウノトリの生息を⽀える円山や水田が「円山川下流域・周辺水田」が国際的なラムサール条約に登録された。
コウノトリとヒトが共生するまちづくりに成功した豊岡市は次のステップとして世界へのエコツーリズムの事業を始めた。2018年と2019年に世界で最も有名な野鳥の展示会「バード フェア」にて出展の際、「KOUNOTORI」のドキュメンタリー上映とコウノトリを学ぶためのツアーであるエコツーリズムを紹介した。また、観光ツアーであるコウノトリエコツアーや湿地保全ツーリズムやインタナショナルスクール教育旅行も行っている。 コウノトリを間近に観察できる豊岡市立コウノトリ文化館の来場者数は2018年に500万人達成し、地域の観光にも繋がった。また、来場者の様々ニーズに応えるため、地元市⺠による「コウノトリツーリズムガイド」の制度を設け、このプロジェクトの意義を学び、さらに楽しみながら貢献できるプログラムも用意している。 文化館にて寄付も可能であり、コウノトリ米の売上の一部をコウノトリの保護育成資金として寄付する事もできる。ローカル経済と環境保全は好循環となっており、豊岡市から始まった野生復帰の取組は、福井県越前市、島根県雲南市など、1府6県10市でもコウノトリの野生復帰の取組が始まった。